朝鮮戦争 1950年に関する質問

朝鮮戦争 1950年 韓国の反日の歴史はいつから始まったんですか???

太平洋戦争が終わって韓国の歴史授業が反日教育みたいになってきたのは何年くらいからですか???歴史教科書の内容がが年々激しくなってきていると聞きましたが本当ですか???

  韓国の反日の歴史はいつから始まったんですか???の詳細


朝鮮戦争 1950年 北朝鮮・DPRKは何の略?

タイトル通りですがDPRKは何の略なんでしょうか。

  北朝鮮・DPRKは何の略?の詳細


朝鮮戦争 1950年 朝鮮戦争について

朝鮮戦争について調べる事になりました。ネットで探してみたんですがあまりいいサイトがありませんでした。なので、いいサイトを知っている方教えてください!また下の質問にも答えられる方書きこみお願いします。1、なぜ起こっ

  朝鮮戦争についての詳細


朝鮮戦争 1950年 戦後の世界

社会で分からないところがありましたので教えてください。1950年の朝鮮戦争がおこった結果を次から2つ選ぶ。ア、中華人民共和国の成立イ、合衆国の占領政策変更と講和会議の促進ウ、日韓基本条約締結と国交の正常化エ、特需景気と日本経済の

  戦後の世界の詳細


朝鮮戦争 1950年 北朝鮮と韓国

北朝鮮と韓国はなぜ戦争をしたのでしょうか?もともとひとつの国だったのですか?そして日本はどのように関わって恨まれているのですか?植民地政策なのでしょうか?教えてくださいお願いします。

  北朝鮮と韓国の詳細


朝鮮戦争 1950年に関するニュース


朝鮮戦争従軍記者、故ヒギンズ氏に修交勲章
聯合ニュース
韓国と米国の堅固な同盟が後に多くの国を民主主義に導く重要な始発点になったかと問えば、母は「そうだ」と応えただろうと語った。 1950年6月25日に朝鮮戦争が始まった当時、米ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン東京特派員だったヒギンズ記者は、6カ月の間 ...


洛東江防衛戦線跡地で戦闘再現、朝鮮戦争60年記念
聯合ニュース
このほか参戦兵の凱旋(がいせん)・歓迎式、祝賀公演なども行われる。 洛東江防衛戦線では、進撃する北朝鮮軍により釜山一帯に追い詰められた韓国側が反撃に転じる足がかりとなった「多富洞の戦い」など、1950年8~9月にさまざまな激闘が繰り広げられた。


忘れ得ぬ人々:日韓併合100年・第4部/中 原爆から5年後、朝鮮戦争
毎日新聞
広島で原爆の惨禍を生き延びて5年後の1950年、鄭正五(チョンチョンオ)さん(83)は、朝鮮戦争の前線にいた。いま、韓国南部の慶尚南道・陜川(ハプチョン)の原爆被害者福祉会館で暮らす正五さんは、流ちょうな日本語で「若いころは苦労しましたよ」とポツリと ...


朝鮮半島の統一はありえるのか?
日経ビジネス オンライン
しかし、休戦状態が60年も続いているせいか、もう北朝鮮は遠いどこかにある未知の国のような存在になってしまっている。鈍感になってしまった面もある。 韓国人と北朝鮮人――韓国では「北韓」(ブッハン)という――は同じ民族でありながら、 1950年6月25日に勃発した戦争...

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韓国:地雷被害、今も 朝鮮戦争「休戦」状態、禁止条約には未加盟
毎日新聞
韓国と北朝鮮の軍事境界線付近を流れる臨津江(イムジンガン)で先月、北朝鮮製の「木箱地雷」が爆発、釣り客2人が死傷した。最近の豪雨で北朝鮮から流れて来たとみられ、その後、韓国軍は10日までに119個を確保した。朝鮮戦争1950~53)の休戦状態にある ...
韓国:地雷被害、今も 韓国対人地雷対策会議代表、趙載国・延世大教授の話毎日新聞

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朝鮮戦争 1950年旅行記

バーゼル・・SUVAハウスなどあちこち・・(by mincoさん)

朝鮮戦争 1950年
SUVAハウス(1993年)今までの建物にガラスで覆った部分と増築された集合住宅・オフィス。
いやぁ・・こんな風に既存の建物を利用してかっこよくしてしまうなんて・・すごい。

ヘルツォーク&ド・ムーロン(Herzog & de Meuron、略称HdeM)はスイス出身の建築家。スイスのバーゼル出身のジャック・ヘルツォーク(Jacques Herzog、1950年4月19日 - )とピエール・ド・ムーロン(Pierre de Meuron、1950年5月8日 - )の2人からなるユニットです。
有名な作品としては、東京・プラダ青山店やバルセロナ・フォーラム、ミュンヘンのサッカー場アリアンツ・アレナ、そして北京オリンピックメインスタジアムの鳥の巣などがあります。

ブログでも紹介しています。
  • http://viaggiare.blog.so-net.ne.jp/2004-09-20

  • http://viaggiare.blog.so-net.ne.jp/2009-08-31

  • 【旅行時期】2009/04/10~2009/04/19
    【エリア】バーゼル
    【テーマ】
    【投稿者】minco

    初めての釜山旅行4.キンパフ天国、UN公園、チャガルチ市場渡辺屋(by 三毛猫美花さん)

    朝鮮戦争 1950年
    釜山4日目です。3日目に続きキンパフ天国で朝食後、釜山市立博物館へ行きました。この内容は別の旅行記にしますが、日本人のための専任ガイドを置いています。
    博物館のとなりがUN公園です。ここは朝鮮戦争で亡くなった国連軍の兵士の墓地です。国連の名のもと、世界平和のため、従軍し、亡くなった兵士を思うと、「普通の国」とはなにかを日本人は知らないと痛感します。
    ワシントンへ行った時ちょうど「ベテランの日」で退役軍人かなにかの祝日でした。TVのCMではアメリカ軍のCMが流れ、「アメリカ軍はアメリカ国民の安全と自由を守るため」と連呼してました。
    アメリカだったらアメリカ国内で主権を犯してアメリカ人を組織的に拉致する国をアメリカ軍は放置しないと思います。
    最後の晩餐はチャガルチ市場の渡辺屋にしました。一人旅には多すぎる量でしたが、たいへんおいしかったです。

    【旅行時期】2010/06/03~2010/06/07
    【エリア】釜山
    【テーマ】
    【投稿者】三毛猫美花

    1999年韓国・中国・ベトナム旅行23、北朝鮮との国境の町・丹東(ダンドン)を訪ねる。(by 堀昭夫さん)

    朝鮮戦争 1950年
    8月6日(金)、大連から丹東へと向う。
    途中休憩タイムで物売りのオバサンと値段交渉中、危うくバスに置いてけぼりにされそうになった。
    国境の町・丹東を訪ねる大きな目的は北朝鮮の人々、風景をこの目で見たい、この事に尽きる。
    何しろ日本とは国交のない国だ、お手軽に観光などできないのだ。
    8月7日(土)、鴨緑江まで行き遊覧船に乗ってみた。
    出来るだけ近くで北朝鮮の人々の生活、表情を見たかったから。
    中国側からは多くの遊覧船が対岸見学に出ている。
    もちろん上陸できるわけではないがすぐ近くまで寄ってくれる。
    これまでの旅で見てきた多くの国境は写真撮影禁止で緊張感も感じられたが、この地は意外な程オープンだった。
    わずか10分程の船旅だったが両国の経済格差は歴然としていて、人々の表情も対照的だったように思う.
    遊覧船を降りて、今度は朝鮮戦争時アメリカ軍の攻撃を受け真ん中あたりで寸断されている鴨緑江断橋から、北朝鮮側をしばらく眺めてみた。
    川泳ぎを続ける人々の声が聞こえてくる。
    両国の経済格差を、思い知らされて鴨緑江を後にする。

    【旅行時期】1999/08/06~1999/08/07
    【エリア】その他の都市
    【テーマ】ひとり旅
    【投稿者】堀昭夫

    1999年韓国・中国・ベトナム旅行10、「木浦(モッポ)共生園」を訪ねる。(by 堀昭夫さん)

    朝鮮戦争 1950年
    7月18日(土)、午後になって港へ向う。
    丁度いい砂地があり、風も吹いてきたので早速凧揚げ開始。
    鳥凧、そして連凧を揚げてみる。
    近くに男の子が3人居たので、一緒に遊ぶ。
    大人も2人手伝ってくれた。
    コマ凧を子供達にプレゼントして,港を後にする。
    夜、コマ凧を5個作る。
    翌日もコマ凧を4個作り「儒達山」中腹で揚げ、近くに居た子供達にプレゼントした。
    7月19日(月)、「共生園」を訪ねる。
    事前に電話してみたのだが番号違いなのか通じず、直接の訪問となってしまった。
    「共生園」と田内千鶴子の事は、テレビ・ドキュメンタリーで知っていた。
    <愛の黙示録>という映画にもなっているようだが、観ていない。
    田内千鶴子(ユン・ハクチャ)は日帝による植民地時代から夫のキリスト教伝道師ユン・チホと共に孤児達を育て、朝鮮戦争時ユン・チホが行方不明になった後も彼の意思を継ぎ「共生園」の子供達を守り抜き、木浦(モッポ)の母(オモニ)と慕われたという事だ。
    戦後の混乱期、日本人である彼女にはかなりの苦労があったと想像するのだが・・・。
    1968年に57歳の短い生涯を閉じたが、木浦市の市民葬となったその葬儀には、韓国全土から3万人もの人々が駆けつけたと伝えられる。
    私が訪ねた時、子供達は学校に行って園に居なかったが、女性(たぶん千鶴子の娘さん?)に教会など案内してもらった。
    そのお礼に、ささやかな寄付と和凧をプレゼントする。
    長くお邪魔しては迷惑だろうと思い30分程で園を後にしたが、3ヶ月余りの旅を終えて東京のアパートに帰ってみると、お孫さんの田内緑さんから丁寧な礼状が届いていた。
    いきなりの訪問で失礼してしまった事を、お詫びしたいと思う。

    【旅行時期】1999/07/19~1999/07/19
    【エリア】木浦
    【テーマ】ひとり旅
    【投稿者】堀昭夫

    ソウル競馬場(韓国:ソウル競馬公園)(by ランドネットさん)

    朝鮮戦争 1950年
    韓国のソウル競馬場に行ってきました。

    朝鮮戦争後、ソウルではトクソムという場所で競馬が開催されていましたが、1986年のアジア大会と1988年のソウルオリンピック用に開設された馬術競技場を、1989年に競馬場へ改装して移転オープしンしたのが現在のソウル競馬場です。正式名称はソウル競馬公園といい、こちらも釜山競馬場と同様に「公園」という名にふさわしく、花と緑に囲まれた家族連れでも楽しく過ごせる場所になっています。

    このソウルでは毎週土曜・日曜に競馬が開催され、金曜日は釜山競馬場・済州競馬場の場外発売所としてオープンします。

    地下鉄4号線の競馬公園駅を出るとすぐ競馬場のゲートがあります(スタンドまでは徒歩4分くらい)。ソウル駅からは10駅、だいたい20分ちょっとの便利な場所にあります。

    【最寄駅】地下鉄4号線競馬公園駅すぐ
    【入場料】800ウォン。指定席なし。4階に外国人特別室あり
    【コース】1周1800m・直線450m

    【旅行時期】2010/05/08~2010/05/08
    【エリア】ソウル
    【テーマ】スポーツ観戦
    【投稿者】ランドネット